岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台、神社や寺院などを巡っています。文学者、思想家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館、文化施設なども立ち寄っています。

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碑・縁

琵琶湖が見渡せる。高架線を走る電車から。湖西線の安曇川駅で下車。南口側から出ると、木々の植えられた広場。 ▲ JR西日本 湖西線 安曇川駅(滋賀県高島市安曇川町)一人の偉人の坐像が建立されている。 近江聖人(おうみ せいじん)と呼ばれる儒学者。 ▲ 近江聖人 中
『中江藤樹:滋賀県高島市安曇川町周辺(安曇川駅)』の画像

法華経の普門品第二十五。「其中一人作是唱言」という一節がある。意味は、災難に遭った時、又は、苦痛に苛まれた時に其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに救いの手を差し伸べる。皆が救われ、悩みから解放される、といった内容。 種田山頭火は
『種田山頭火 其中庵(ごちゅうあん):山口県山口市小郡下郷』の画像

山口県山口市の新山口駅新幹線口から出る。どっしりと佇む立像が眼に映る。 ▲ 俳人 種田山頭火まつたく 雲がない 笠をぬぎその日も、ほとんど雲がない晴天だった。新山口駅に降り立つのは、今回で二度目。前回は、中原中也記念館に向かうのが目的で、山口県山口市にやって
『種田山頭火:山口県山口市周辺』の画像

20歳頃に、その硬質で清澄な文体に魅了された。作品を読み漁る。軍医でもあり、文豪でもあった男。本名、森林太郎。筆名、森鴎外。 ▲ 森鴎外の胸像(森鴎外旧居)1862年(文久 2年)、石見国(現:島根県)津和野町に生まれる。幼少の頃から、論語や孟子の素読を行い、7歳
『森鴎外 旧居:福岡県北九州市小倉北区鍛冶町』の画像

 ▲ 亀井勝一郎の文学碑の道標名前は聞いたことがあった。しかし、具体的にどういった作品を出していたのかは、知らなかった。函館という町は、何らかの文学的な土壌を有しているようだ。【亀井勝一郎】1907年(明治40年)~1966年(昭和41年)北海道函館市元町に生まれる。
『亀井勝一郎:北海道函館市周辺』の画像

こころよき 疲れなるかな 息もつかず 仕事をしたる 後のこの疲れ函館駅から市電に沿って、函館山方面へと向かう。函館市電の宝来町駅からほど近く。現在、「茶房ひし伊」という名の喫茶店。その昔、石川啄木、または、その妻の節子が通った質屋の場所。 ▲ 現在は喫茶店となっ
『石川啄木:北海道函館市周辺』の画像
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