岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台、神社や寺院などを巡っています。文学者、思想家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館、文化施設なども立ち寄っています。

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碑・縁

清水駅に到着。改札を出て左へ。バスのロータリーに到着。でも、一旦、スルーして観光案内所へ。色々と情報やらパンフレットをゲットして、再び、バスのりばへ。美保方面行きのバスに乗車。片道360円の料金。約25分程で、「三保松原入口」に到着。そこからさらに15分程歩くと
『吹合ノ岬(三保の松原):静岡県静岡市清水区三保』の画像

前回、2011年訪問時の記事である「亀岡八幡宮」を書いたのでさらに遡って、今回は2009年に訪れた場所です。  ▲ 史跡 円覚寺跡太陽が燦々と降り注ぐ緑。そこに、石碑が建立されている。初夏。琉球。沖縄。那覇市。首里。  ▲ 史跡 円覚寺跡 石碑案内板によると。円覚寺は
『円覚寺跡:沖縄県那覇市首里当蔵町』の画像

高野山への分岐点の駅。橋本駅で下車。改札を抜けて右手へと向かう。橋本川を渡り、西南の方向へ。駅から歩いて、15分程度で到着。  ▲ 和歌山県橋本市役所奥側には、橋本市民会館、橋本市教育文化会館、橋本市図書館、橋本市役所本庁北別館も。何故、こちらに赴いたのかと
『岡潔 顕彰碑:和歌山県橋本市東家』の画像

 ▲ 誠心直道之碑:福岡県北九州市小倉北区城内碑文今日天下武ヲ論スル者剣聖宮本武蔵先生ヲ以テ第一トナス先生ハ播州ノ英産幼少 ヨリ武ヲ志シ二天一流ヲ創始シ肥後細川藩ニ脈々トシテ其ノ流派ヲ伝ウ後年ニ及ヒ剣理ヲ以テ悟徹セル万里一空ノ精神ハ絵画彫刻ニ至ルマテソノ極
『宮本武蔵 誠心直道之碑:福岡県北九州市小倉北区城内』の画像

乃木希典(1849~1912年)の時間軸1875年(明治8年)12月九州地方を管轄する熊本鎮台の小倉を受け持つ「歩兵第14連隊長心得」に任じられ、現在の福岡県北九州市小倉に赴任。1887年(明治20年)1月政府の命令によって、同じく陸軍少将の川上操六とともにドイツ帝国へ留学。188
『乃木希典 居住宅の跡:福岡県北九州市小倉北区室町』の画像

紫川さくら通りを歩く朝。日差しが心地良く、水面が煌めく。国道199号線を横切り、さらに進む。右手に大きな四角い黒光りする北九州市役所のビル。勝山公園へと向かう橋が紫川に掛かっている。 ▲ 鴎外橋(水鳥の橋) 森鴎外に因んで、鴎外橋と呼ばれている。こちらの橋を
『森鴎外 文学碑:福岡県北九州市小倉北区勝山公園内』の画像

1911年(明治45年・大正元年) 7月、明治天皇崩御。 9月、大葬の日、乃木大将夫妻殉死。10月、 初めての歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』を「中央公論」に発表。森鴎外50歳の年の出来事。以前から乃木希典と親交があった。殉死が契機となり、『興津弥五右衛門の遺書』を執
『森鴎外 京町住居跡:福岡県北九州市小倉北区京町』の画像

よく知られているのは、堀口大学の訳。敢えて、別の方の訳を引用。私はえらばれていることの恍惚と恐怖を感じます私は価せぬものです しかしあなたの寛大さを知っておりますああ なという努力 なんという熱意! そしていまつつましい祈りにあふれております はてしない
『太宰治:青森県五所川原市金木町芦野(芦野公園)』の画像

1884年(明治17年)23歳の新渡戸稲造は「サン・パブロ号」に乗船。渡米。ペンシルバニア州のアラゲイニー大学に入学。しかし、直ぐに辞めてメリーランド州のジョンズ・ホプキンズ大学に入学。 この分岐点には、ある人物が存在する。佐藤昌介1856年(安政 3年)~1939年(昭
『佐藤昌介:北海道札幌市北区(北海道大学)』の画像

1899年12月、アメリカで、一冊の書物が刊行された。 1900年、明治33年に、日本でも上梓され出版。その後はドイツ人カウフマンによってドイツ語に訳され、さらに印度方言語、ポーランド語、ボヘミヤ語、ロシア語、イタリア語、スエーデン、ノルウェー語などの言語に翻訳され
『新渡戸稲造:北海道札幌市北区(北海道大学)』の画像

英学塾。「致遠館(ちえんかん)」。1865年(慶応元年)に、佐賀藩によって英語教育を目的に開設。校長に、オランダ系アメリカ人のフルベッキ。学監は、副島種臣 。教師に、大隈重信、小出千之助、石丸虎五郎、馬渡八郎など。グイド・フルベッキ(1830~1898)Guido Herman F
『大隈重信 致遠館跡:長崎県長崎市五島町』の画像

江戸時代中期以後、オランダ語により西洋の学術・文化を研究する学問の総称。 八代将軍の徳川吉宗の時代。享保年間(1716年~1736年)、青木昆陽、野呂元丈の蘭書の訳読に始まる。 つまり、蘭学。因みに、漢字で、オランダを表記すると、阿蘭陀。 ここ中津は、特に 多くの
『福沢諭吉:大分県中津市周辺(中津駅)』の画像

中華人民共和国の浙江省の北東部。余姚(よよう)市。姚江の水運に恵まれ古くから商業が盛んな交通の要地。また、歴史上の有名な文人学者を数多く輩出した町。唐代の書家、虞世南(558年~638年)。明代最大の哲学者、王陽明(1472年~1529年)。明の滅亡で日本に亡命し、徳
『王陽明 陽明園:滋賀県高島市安曇川町青柳』の画像
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