野田洋次郎、KREVA、一青窈、miwa。

櫻井翔、 小出恵介、水嶋ヒロ。

勝間和代、梅田望夫。

ふかわりょう。


お分かりでしょうか?

そうです。

皆さん、慶應義塾大学出身者。


他にも、多くの有名な方々がいますが、挙げたらキリがないので。

何だか皆さん、洗練された感じと言いますか。

育ちの良さそうな雰囲気です。


そんなこんなで、福澤諭吉旧居の敷地内にある福澤記念館の御紹介。

福澤諭吉 記念館
  ▲ 福澤記念館

一階は、時系列に、まとめられた福澤諭吉の一生を辿ることができます。

二階では 、福澤諭吉の各種側面をテーマ毎に展示がされていました。


遺品、遺墨、書簡などをはじめとして、関連資料が沢山。

不勉強で、知らないことが多々ありました。


特に驚いたのは「明治十四年の政変(1881年政変)」について。

関係しているのは、当然。


政治家であり、この後に下野して
早稲田大学の前身となる東京専門学校を創立した大隈重信。

及び、その周辺の人々が追放されたと認識していた。


確かに、その通りなのですが。


その周辺の人々が。

慶應義塾門下生だったということを、初めて知りました。


大隈重信に、学校の創立を提案したのが
福澤諭吉だったということを聞いたことがあったけれど。

まさか、大隈重信を周りで支えていた人々が慶應義塾門下生だったとは。


早稲田大学と慶應義塾大学 。

大隈重信と福澤諭吉。

政治家と学者。


早慶戦などをはじめとして、比較されやすいですが。

明治の頃は、混然一体だったんですね。


福澤諭吉 先生 胸像
  ▲ 福澤諭吉 先生 胸像


福澤記念館の前庭には、福澤諭吉の胸像もあります。

威厳に満ち溢れている感じが、ヒシヒシと伝わってきました。


少々長くなりますが、最後に、慶應義塾の卒業生の方の文章を引用して終えたいと思います。 


福澤諭吉が創始した慶應義塾もはじまりは、学ぶ意欲と志を持った若者たちが集まった私塾でした。
ウェブ進化は、すべての人が、不特定多数に向けて自己を表現する可能性を拓いた。ブログはその初期の道具にすぎず、これからその機能はさらに進歩していきます。ウェブは時空の制約を超えるから、どこに住んでいても、また教育を本業としていなくても、志さえ持てば、志向性を同じくする若者たちを集め、自分がこれまでの人生で学んできたことを伝え、良き刺激を与える役割を果たすことができる。

『私塾のすすめ』(齋藤孝/梅田望夫)
P 205 「おわりに」 梅田望夫 

「若者」の部分を、単純に年齢を限定しないで、「人々」と読み換えても問題がないほど。

この文章には、非常に深い普遍的な意味がありますね。



2015年 3月


【リンク】
福澤諭吉旧居・福澤記念館