山口県山口市の新山口駅新幹線口から出る。
どっしりと佇む立像が眼に映る。
▲ 俳人 種田山頭火
その日も、ほとんど雲がない晴天だった。
新山口駅に降り立つのは、今回で二度目。
前回は、中原中也記念館に向かうのが目的で、山口県山口市にやってきた。
今回は、もちろん、種田山頭火。
山口に生まれ、東京に出て、地元に戻る。
熊本へ渡り、再び東京に出て、熊本へと戻る。
西日本を。
後に、東北地方を、放浪。
自由と旅と酒を愛した俳人。
「かなしみ」が、仄かに滲み出る数々の俳句。
▲ 新山口駅北口:おごおり 種田山頭火 其中庵
新山口駅の新幹線口とは、反対側に位置する北口。
市内の案内板とともに、其中庵への案内図も設置されている。
湯田温泉駅の周辺にも、句碑が幾つかある。
その中で、一番のお気に入り。
▲ 山頭火 湯田温泉 句碑
素晴らしい。
そして。
この句碑を建立した湯田温泉も。
2015年 3月
どっしりと佇む立像が眼に映る。
▲ 俳人 種田山頭火
まつたく 雲がない 笠をぬぎ
その日も、ほとんど雲がない晴天だった。
新山口駅に降り立つのは、今回で二度目。
前回は、中原中也記念館に向かうのが目的で、山口県山口市にやってきた。
今回は、もちろん、種田山頭火。
【種田山頭火】
1882年(明治15年)~1940年(昭和15年)
山口県防府市生まれの自由律俳句の俳人。
本名:種田正一。
周陽学舎を首席で卒業。山口尋常中学、東京専門学校高等予科を経る。
早稲田大学大学部文学科に入学。1904年に神経衰弱のため、早稲田大学を退学。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名
1882年(明治15年)~1940年(昭和15年)
山口県防府市生まれの自由律俳句の俳人。
本名:種田正一。
周陽学舎を首席で卒業。山口尋常中学、東京専門学校高等予科を経る。
早稲田大学大学部文学科に入学。1904年に神経衰弱のため、早稲田大学を退学。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名
山口に生まれ、東京に出て、地元に戻る。
熊本へ渡り、再び東京に出て、熊本へと戻る。
西日本を。
後に、東北地方を、放浪。
自由と旅と酒を愛した俳人。
「かなしみ」が、仄かに滲み出る数々の俳句。
酔うて こほろぎと 寝ていたよ
▲ 新山口駅北口:おごおり 種田山頭火 其中庵
新山口駅の新幹線口とは、反対側に位置する北口。
市内の案内板とともに、其中庵への案内図も設置されている。
湯田温泉駅の周辺にも、句碑が幾つかある。
その中で、一番のお気に入り。
▲ 山頭火 湯田温泉 句碑
ちんぽこも おそそも 湧いて あふれる湯
素晴らしい。
そして。
この句碑を建立した湯田温泉も。
2015年 3月
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