岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台、神社や寺院などを巡っています。文学者、思想家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館、文化施設なども立ち寄っています。

岬を訪ねて三千里 イメージ画像

更新情報

好きな町の一つ鎌倉。小町通り。鶴ヶ岡八幡宮。由比ヶ浜。そして、何よりも。鎌倉文学館です。鎌倉駅から歩いても20分程度の場所。入口までは、緑の木立の坂道。元々は、前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸。1985年(昭和60年)に鎌倉ゆかりの文学館として開館。  ▲ 鎌倉
『鎌倉文学館:神奈川県鎌倉市長谷』の画像

矢頭良一1878年(明治11年)~1908年(明治41年)福岡県豊前市の発明家。「漢字早繰辞書」や「自働算盤」を開発。動力航空機の発明を試みるも早世。矢頭良一は、北九州市小倉へ赴任してきた森鴎外を訪ねる。自分の夢を実現するために、力を貸して欲しいと。研究のために手助
『北九州市立文学館:福岡県北九州市小倉北区城内』の画像

 ▲ 誠心直道之碑:福岡県北九州市小倉北区城内碑文今日天下武ヲ論スル者剣聖宮本武蔵先生ヲ以テ第一トナス先生ハ播州ノ英産幼少 ヨリ武ヲ志シ二天一流ヲ創始シ肥後細川藩ニ脈々トシテ其ノ流派ヲ伝ウ後年ニ及ヒ剣理ヲ以テ悟徹セル万里一空ノ精神ハ絵画彫刻ニ至ルマテソノ極
『宮本武蔵 誠心直道之碑:福岡県北九州市小倉北区城内』の画像

乃木希典(1849~1912年)の時間軸1875年(明治8年)12月九州地方を管轄する熊本鎮台の小倉を受け持つ「歩兵第14連隊長心得」に任じられ、現在の福岡県北九州市小倉に赴任。1887年(明治20年)1月政府の命令によって、同じく陸軍少将の川上操六とともにドイツ帝国へ留学。188
『乃木希典 居住宅の跡:福岡県北九州市小倉北区室町』の画像

紫川さくら通りを歩く朝。日差しが心地良く、水面が煌めく。国道199号線を横切り、さらに進む。右手に大きな四角い黒光りする北九州市役所のビル。勝山公園へと向かう橋が紫川に掛かっている。 ▲ 鴎外橋(水鳥の橋) 森鴎外に因んで、鴎外橋と呼ばれている。こちらの橋を
『森鴎外 文学碑:福岡県北九州市小倉北区勝山公園内』の画像

1911年(明治45年・大正元年) 7月、明治天皇崩御。 9月、大葬の日、乃木大将夫妻殉死。10月、 初めての歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』を「中央公論」に発表。森鴎外50歳の年の出来事。以前から乃木希典と親交があった。殉死が契機となり、『興津弥五右衛門の遺書』を執
『森鴎外 京町住居跡:福岡県北九州市小倉北区京町』の画像

乃木さんの お言葉私は 沙沙貴神社に 度々 参詣するがこの神社には 私の お祖父さんその又 お祖父さんまだ ずっと先の お祖父さんが 祭ってあるこの村の方々皆さんの お父さんや お兄さんはお宮の祭を盛んにしてくださるので私は 非常に喜んでいる吾々人間は 祖先が本である
『乃木希典 沙沙貴神社:滋賀県近江八幡市安土町常楽寺』の画像

巌流島へと渡った同日。もう一つの島へと渡ることになった。特に前もって計画してはいなかったが電車の中で、ふと思った。そう言えば、青春18切符だと宮島へのフェリーも無料で乗れるんだった。夕刻前。まだ、泊まる宿も決めてはいない。迷うこともなく。決断。 ▲ JR宮島フ
『厳島神社:広島県廿日市市宮島町(厳島)』の画像

村上元三1910年(明治43年)~2006年(平成18年)小説家。 日本統治時代の朝鮮元山生まれ。青山学院中等部卒業。直木賞作家。主著『上総風土記』『佐々木小次郎』『次郎長三国志』など。 1954年下半期から1989年下半期までの30年以上。直木賞の選考委員を務めた有名な小説家
『佐々木小次郎 巌流島:山口県下関市彦島船島』の画像

本州最西端の毘沙ノ鼻を訪れた時に足を伸ばして、巌流島へ渡ってみた。 というか、それまで、山口県と福岡県の間に巌流島があったことを知らなかった。丁度、巌流島の決闘から400年。1612年5月13日。二人の剣豪が衝突した。 ▲ 巌流島 船着場:山口県下関港(唐戸桟橋)こ
『宮本武蔵 佐々木小次郎 巌流島:山口県下関市彦島船島』の画像

神仏は尊し、されど神仏を頼まず「独行道」 宮本武蔵 宮本武蔵については、一般的な知識はあった。剣豪。二刀流。佐々木小次郎。巌流島での決戦。 『五輪書』吉川英治の『宮本武蔵』は未読。でも、それを原作にした井上雄彦の『バガボンド』は読んでいる。   ▲ 雲巌禅
『宮本武蔵 雲巌禅寺:熊本県熊本市西区松尾町平山』の画像

とんちの巧みな小坊主。一休さん。アニメで広く知れ渡る。聡明な少年。実際の一休さんはアニメと同様に多くの人々に敬愛されたようですが。なかなか奇抜な人だったとか。 ▲ 酬恩庵 一休寺(京都府京田辺市薪字里ノ内)一休宗純1394年(明徳 5年)~1481年(文明13年)室町
『一休宗純 酬恩庵 一休寺:京都府京田辺市薪里ノ内』の画像

弘法大師と呼ばれる空海。対して。伝教大師と呼ばれる人物。最澄。空海は、私費留学僧。最澄は、国費留学僧。ともに遣唐使として中国に渡り帰国。最澄は、現在の滋賀県、比叡山に延暦寺を建立。空海は、現在の和歌山県、高野山に金剛峯寺を建立。様々に対比される二人。諺に
『伝教大師 最澄 延暦寺:滋賀県大津市坂本本町』の画像

王羲之の書風に合う、柔らかな羊毛、兎毛の筆。顔真卿の書風に合った、剛性的な狸毛、鼬毛の筆。奈良朝以来、日本の書道は、王羲之を絶対的な手本としてきた。要するに、羊毛、兎毛の筆が主流。 しかーし。唐から帰国して嵯峨天皇との交流時に「書の手本となる達人は王羲之
『弘法大師 空海 金剛峯寺:和歌山県伊都郡高野町高野山』の画像
     

↑このページのトップヘ