岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台、神社や寺院などを巡っています。文学者、思想家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館、文化施設なども立ち寄っています。

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記念館

皆さん御存知だと思いますが、3月12日は有名な方の誕生日。そう!その通り。くまモンの誕生日!Happy birthday!kumamon!というわけで、熊本県熊本市中央区「くまモンスクエア」について。熊本駅を降りると、 目の前に市電の駅。ちょっと驚いたのが、熊本駅の中はそれなりに
『くまモンスクエア:熊本県熊本市』の画像

 ▲ クラブカウンターアクション宮古 ▲ 東北ライブハウス大作戦の看板やっと訪れた。完成した2012年くらいには知っていたんだっけ?少なくとも2013年の夏には知っていた。何故なら、2013年の夏に岩手県宮古市に一泊二日で滞在。帰路へ向かう宮古から盛岡へ出発の時に!!
『クラブカウンターアクション宮古:岩手県宮古市』の画像

夕方に高知駅に到着。さて、どうしようか?と思いながら、駅前の高知観光情報発信館「とさてらす」へ。何だかめちゃくちゃ凄い観光案内所。お土産屋さんから展示品など、見応えタップリ。いくつかの候補地を想定していて入場時間の制限もあるので、割と足早に閲覧。案内所の
『高知県立文学館:高知県高知市丸ノ内』の画像

好きな町の一つ鎌倉。小町通り。鶴ヶ岡八幡宮。由比ヶ浜。そして、何よりも。鎌倉文学館です。鎌倉駅から歩いても20分程度の場所。入口までは、緑の木立の坂道。元々は、前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸。1985年(昭和60年)に鎌倉ゆかりの文学館として開館。  ▲ 鎌倉
『鎌倉文学館:神奈川県鎌倉市長谷』の画像

矢頭良一1878年(明治11年)~1908年(明治41年)福岡県豊前市の発明家。「漢字早繰辞書」や「自働算盤」を開発。動力航空機の発明を試みるも早世。矢頭良一は、北九州市小倉へ赴任してきた森鴎外を訪ねる。自分の夢を実現するために、力を貸して欲しいと。研究のために手助
『北九州市立文学館:福岡県北九州市小倉北区城内』の画像

南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸を後にして、紀伊田辺駅へ。駅に隣接している田辺観光協会に立ち寄り情報収集。めちゃくちゃ親切に対応して頂きました。受付にいた女性全員に、思わず「結婚して下さいっ!」と、プロポーズしそうになりました。大好きです!紀伊田辺!とっても感
『南方熊楠 記念館:和歌山県牟婁郡白浜町(番所山)』の画像

 ▲ 南方熊楠顕彰館の左手奥:南方熊楠邸南方熊楠顕彰館は、入場無料。南方熊楠邸は、一般¥300円の入場料。南方熊楠顕彰館の受付で、その旨を告げ、支払いを済ませて、いざ! ▲南方熊楠邸への小道この小さな通りを歩いて、右に進むと南方熊楠の旧居と庭が広がります。和
『南方熊楠 邸:和歌山県田辺市中屋敷町』の画像

紀伊田辺に前日入り。扇ヶ浜公園の隣にあるパークサイドホテルに宿泊。最上階のレストランで、景色を眺めながら朝食。食後に公園を散歩。午前10時からの開館に合わせて到着。 ▲ 南方熊楠顕彰館外観がお洒落。シックで落ち着いた雰囲気。しかも、顕彰館の入場料は無料。敷地
『南方熊楠 顕彰館:和歌山県田辺市中屋敷町』の画像

パンフレットに拠ると、1907年(明治40年)6月に落成。明治の大地主、津島源右衛門が建築した入母屋造りの建物。との事。その子供の六男の名前は、津島修治。作家、太宰治の本名。つまり、太宰治の父親が建てた邸宅。 ▲ 太宰治記念館 「斜陽館」 一階は、11室278坪。二階
『太宰治 記念館 斜陽館:青森県五所川原市金木町朝日山』の画像

母の三井子は、幼少の八太郎に五つの教えを説いた。喧嘩をするな人をいじめるないつも先を見て進め過ぎたことを振り返るな人が困っていたら助けよ 彼は後に、大隈重信と名を改め、政治家となり五つの信条を持った。物事は楽観的に見よ怒るな愚痴を言うな貪るな世のために働
『大隈重信 旧宅:佐賀県佐賀市水ヶ江』の画像

2005年 6月。アメリカ合衆国カリフォルニア州。スタンフォード大学の卒業式。アップルの創設者スティーブ・ジョブズが、卒業生に対して、スピーチを行った。自らの出生。生い立ち。学業。起業。解雇。再出発。復帰。病気。手術。回復。 "Stay hungry, stay foolish" といっ
『大隈重信 大隈記念館:佐賀県佐賀市水ヶ江』の画像

野田洋次郎、KREVA、一青窈、miwa。櫻井翔、 小出恵介、水嶋ヒロ。勝間和代、梅田望夫。ふかわりょう。お分かりでしょうか?そうです。皆さん、慶應義塾大学出身者。他にも、多くの有名な方々がいますが、挙げたらキリがないので。何だか皆さん、洗練された感じと言いますか
『福沢諭吉 福澤記念館:大分県中津市留守居町』の画像

幼少の頃は、漢学や儒学。十代には、蘭学。オランダ語、砲術、医学、化学など。二十代に英学をといったザックリとした流れ。オランダ語を習得していた福沢諭吉。日米修好通商条約により外国人居留地となった横浜に出向き、英語と出会う。これからは、英語の時代だ!と確信。1
『福沢諭吉 旧居:大分県中津市留守居町』の画像
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