岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台などを巡っているパンクスです。文学者、思想家、能書家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館も回っています。神社や寺院、温泉地や観光地と、日本各地をうろちょろしています。

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旅行情報サイト【Travel.jp たびねす】では真面目に観光スポットを紹介中。こちらのブログは、ユルい感じです。

文学

夕方に高知駅に到着。さて、どうしようか?と思いながら、駅前の高知観光情報発信館「とさてらす」へ。何だかめちゃくちゃ凄い観光案内所。お土産屋さんから展示品など、見応えタップリ。いくつかの候補地を想定していて入場時間の制限もあるので、割と足早に閲覧。案内所の
『高知県立文学館:高知県高知市丸ノ内』の画像

好きな町の一つ鎌倉。小町通り。鶴ヶ岡八幡宮。由比ヶ浜。そして、何よりも。鎌倉文学館です。鎌倉駅から歩いても20分程度の場所。入口までは、緑の木立の坂道。元々は、前田利家の系譜、旧前田侯爵家の別邸。1985年(昭和60年)に鎌倉ゆかりの文学館として開館。  ▲ 鎌倉
『鎌倉文学館:神奈川県鎌倉市長谷』の画像

矢頭良一1878年(明治11年)~1908年(明治41年)福岡県豊前市の発明家。「漢字早繰辞書」や「自働算盤」を開発。動力航空機の発明を試みるも早世。矢頭良一は、北九州市小倉へ赴任してきた森鴎外を訪ねる。自分の夢を実現するために、力を貸して欲しいと。研究のために手助
『北九州市立文学館:福岡県北九州市小倉北区城内』の画像

紫川さくら通りを歩く朝。日差しが心地良く、水面が煌めく。国道199号線を横切り、さらに進む。右手に大きな四角い黒光りする北九州市役所のビル。勝山公園へと向かう橋が紫川に掛かっている。 ▲ 鴎外橋(水鳥の橋) 森鴎外に因んで、鴎外橋と呼ばれている。こちらの橋を
『森鴎外 文学碑:福岡県北九州市小倉北区勝山公園内』の画像

1911年(明治45年・大正元年) 7月、明治天皇崩御。 9月、大葬の日、乃木大将夫妻殉死。10月、 初めての歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』を「中央公論」に発表。森鴎外50歳の年の出来事。以前から乃木希典と親交があった。殉死が契機となり、『興津弥五右衛門の遺書』を執
『森鴎外 京町住居跡:福岡県北九州市小倉北区京町』の画像

村上元三1910年(明治43年)~2006年(平成18年)小説家。 日本統治時代の朝鮮元山生まれ。青山学院中等部卒業。直木賞作家。主著『上総風土記』『佐々木小次郎』『次郎長三国志』など。 1954年下半期から1989年下半期までの30年以上。直木賞の選考委員を務めた有名な小説家
『佐々木小次郎 巌流島:山口県下関市彦島船島』の画像

よく知られているのは、堀口大学の訳。敢えて、別の方の訳を引用。私はえらばれていることの恍惚と恐怖を感じます私は価せぬものです しかしあなたの寛大さを知っておりますああ なという努力 なんという熱意! そしていまつつましい祈りにあふれております はてしない
『太宰治:青森県五所川原市金木町芦野(芦野公園)』の画像

パンフレットに拠ると、1907年(明治40年)6月に落成。明治の大地主、津島源右衛門が建築した入母屋造りの建物。との事。その子供の六男の名前は、津島修治。作家、太宰治の本名。つまり、太宰治の父親が建てた邸宅。 ▲ 太宰治記念館 「斜陽館」 一階は、11室278坪。二階
『太宰治 記念館 斜陽館:青森県五所川原市金木町朝日山』の画像

ご主人が促す。「どうぞ、どうぞ、写真を沢山、撮って下さい」こういった場所では、写真撮影が憚れることが多々あるけれど。勧められたのは、初めての経験だったので、新鮮に感じる。 ▲ 津島家新座敷(太宰治 疎開の家)五所川原鉄道の金木駅から、案内板に沿って歩く。5
『太宰治 津島家新座敷:青森県五所川原市金木町朝日山』の画像

法華経の普門品第二十五。「其中一人作是唱言」という一節がある。意味は、災難に遭った時、又は、苦痛に苛まれた時に其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに救いの手を差し伸べる。皆が救われ、悩みから解放される、といった内容。 種田山頭火は
『種田山頭火 其中庵(こちゅうあん):山口県山口市小郡下郷』の画像

山口県山口市の新山口駅新幹線口から出る。どっしりと佇む立像が眼に映る。 ▲ 俳人 種田山頭火まつたく 雲がない 笠をぬぎその日も、ほとんど雲がない晴天だった。新山口駅に降り立つのは、今回で二度目。前回は、中原中也記念館に向かうのが目的で、山口県山口市にやって
『種田山頭火:山口県山口市周辺』の画像

地下一階のホール。約150席が用意されている。スクリーンに映し出された司馬遼太郎が語る。どうして日本人は、こんなに馬鹿になったんだろうというのが、二十二歳の時(敗戦を迎えた時)の感想でした。 昔は違ったろうと、そこから私の小説は始まるんですけども。 昔は違った
『司馬遼太郎 記念館:大阪府東大阪市下小阪』の画像

20歳頃に、その硬質で清澄な文体に魅了された。作品を読み漁る。軍医でもあり、文豪でもあった男。本名、森林太郎。筆名、森鴎外。 ▲ 森鴎外の胸像(森鴎外旧居)1862年(文久 2年)、石見国(現:島根県)津和野町に生まれる。幼少の頃から、論語や孟子の素読を行い、7歳
『森鴎外 旧居:福岡県北九州市小倉北区鍛冶町』の画像

 ▲ 日蓮宗 長興山 妙本寺の案内板夏の日の休日。午前中から出掛ける。電車に揺られること、1時間半程。好きな町の一つ。数多くの文学者達が愛して、住んだ町。鎌倉に到着。鎌倉比企ヶ谷妙本寺境内に、海棠の名木があった。(中略)中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮
『小林秀雄 中原中也 妙本寺:神奈川県鎌倉市大町』の画像
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