欧米人らしき夫婦が山門から出て来た。
「私達が最後だったようだね」と呟きながら。
これはチャンスだと思った。
以前の苦い思い出を払拭するのに。
数年前、広島駅のホーム。
欧米人に片言の日本語で
新幹線のホームを訊かれて、テンパッてしまった残念な体験。
ん、その時は、頼山陽史跡資料館を訪れた後ではないか。
頼山陽と関連した場所の後には外国人と接することが多いようだ。
ということで、今回は、頼山陽の墓所がある京都東山「長楽寺」山門前。
アメリカかイギリスから来たのだろうかと思い声を掛ける。
あっさりと予想は裏切られた。
「私たちはイタリアから来たんだよ」
「三週間のホリデーさ」
「ここは、どんなゆかりのある寺院なんだい?」
「どんな旅をしてるんだい?」
「君と会えて良かったよ」
脳みそフル回転で対応をしながら、なんとか意思の疎通。
5分程度の立ち話。
時々、伝わっていないなと感じた部分もあったが
まあ、一歩前進したということで良しとしよう。
ありがとう。イタリアから来た御夫婦!
そんなわけで、長楽寺の御紹介。
▲ 長楽寺の参道
円山公園の近く。
少し奥まった先へと進むと閑静な場所に、長楽寺。
▲ 山門
山門の左手側には、「頼山陽先生墓所参拝道」と石碑。
なだらかな坂道を上ってきた後に、さらに長い階段が続く境内へ。
▲ 長楽寺の境内の階段
結構、登ったなぁ~と思い振り返る。
まだ、先は続きます。
さらに歩みを進めていくと、やっと長楽寺の墓地。
▲ 頼山陽の墓
「外史橋」と呼ばれる橋を渡って進んで行くと
「頼山陽先生墓所」と石碑があり、一区画まとめられている場所。
頼山陽の墓の他にも、儒者の墓が沢山ある。
▲ 頼三樹三郎の墓
頼山陽の子供である頼三樹三郎の墓も。
この場所のさらに上には、徳川慶喜に仕えた水戸烈士の「尊攘苑」。
俳人、歌人、画家の墓も多くある長楽寺墓地。
多くの人々が、この寺の自然の景観を愛したようだ。
静かで緑に覆われた長楽寺。
今の時期だと紅葉も見頃か。
伝教大師・最澄が創建。
『平家物語』のヒロイン・建礼門院のゆかりの寺でもある長楽寺。
オススメの寺院です。
【リンク】
長楽寺
【Travel.jp たびねす 旅行ガイド】
『最澄の創建。頼山陽、“平家物語”ゆかりの京都「長楽寺」』
「私達が最後だったようだね」と呟きながら。
これはチャンスだと思った。
以前の苦い思い出を払拭するのに。
数年前、広島駅のホーム。
欧米人に片言の日本語で
新幹線のホームを訊かれて、テンパッてしまった残念な体験。
ん、その時は、頼山陽史跡資料館を訪れた後ではないか。
頼山陽と関連した場所の後には外国人と接することが多いようだ。
ということで、今回は、頼山陽の墓所がある京都東山「長楽寺」山門前。
アメリカかイギリスから来たのだろうかと思い声を掛ける。
あっさりと予想は裏切られた。
「私たちはイタリアから来たんだよ」
「三週間のホリデーさ」
「ここは、どんなゆかりのある寺院なんだい?」
「どんな旅をしてるんだい?」
「君と会えて良かったよ」
脳みそフル回転で対応をしながら、なんとか意思の疎通。
5分程度の立ち話。
時々、伝わっていないなと感じた部分もあったが
まあ、一歩前進したということで良しとしよう。
ありがとう。イタリアから来た御夫婦!
そんなわけで、長楽寺の御紹介。
▲ 長楽寺の参道
円山公園の近く。
少し奥まった先へと進むと閑静な場所に、長楽寺。
▲ 山門
山門の左手側には、「頼山陽先生墓所参拝道」と石碑。
なだらかな坂道を上ってきた後に、さらに長い階段が続く境内へ。
▲ 長楽寺の境内の階段
結構、登ったなぁ~と思い振り返る。
まだ、先は続きます。
さらに歩みを進めていくと、やっと長楽寺の墓地。
▲ 頼山陽の墓
「外史橋」と呼ばれる橋を渡って進んで行くと
「頼山陽先生墓所」と石碑があり、一区画まとめられている場所。
頼山陽の墓の他にも、儒者の墓が沢山ある。
▲ 頼三樹三郎の墓
頼山陽の子供である頼三樹三郎の墓も。
この場所のさらに上には、徳川慶喜に仕えた水戸烈士の「尊攘苑」。
俳人、歌人、画家の墓も多くある長楽寺墓地。
多くの人々が、この寺の自然の景観を愛したようだ。
静かで緑に覆われた長楽寺。
今の時期だと紅葉も見頃か。
時雨を厭う唐傘の濡れてもみじの長楽寺
頼山陽
伝教大師・最澄が創建。
『平家物語』のヒロイン・建礼門院のゆかりの寺でもある長楽寺。
オススメの寺院です。
2015年 8月 訪問
【リンク】
長楽寺
【Travel.jp たびねす 旅行ガイド】
『最澄の創建。頼山陽、“平家物語”ゆかりの京都「長楽寺」』
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