1911年(明治45年・大正元年)

 7月、明治天皇崩御。

 9月、大葬の日、乃木大将夫妻殉死。

10月、 初めての歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』を「中央公論」に発表。


森鴎外50歳の年の出来事。


以前から乃木希典と親交があった。

殉死が契機となり、『興津弥五右衛門の遺書』を執筆。


さらに踏み込んでみると

森鴎外が歴史や史実に興味を持ったのは

福岡県北九州市小倉に住んでいた時期に得た知識が下地となっている。


小倉駅
  ▲ 福岡県「小倉駅」


1899年(明治32年)~1902年(明治35年)に鴎外は小倉で勤務。

最初は、鍛冶町に住む。

1900年(明治33年)の暮れから上京するまでは、京町。


小倉駅の小倉城口から出て直ぐの場所。

「森鴎外京町住居跡」がある。


しかーし。

訪れた時期が悪かった。


森鴎外京町住居跡
 ▲ 森鴎外京町住居跡碑、一時撤去中。


工事のために、「普段ならこうですよ~」的な写真しか存在せず・・・。


2015年(平成27年) 9月に再設置の計画。


森鴎外京町住居跡碑の看板
 ▲ 森鴎外京町住居跡碑の看板


本来なら、写真の中央にあるような銘板と石碑があるとのこと。

これは、また再び訪問しなければ、と思ったのでありました。


鴎外橋(水鳥の橋)、北九州市立文学館、鍛冶町の森鴎外旧居など。

一応、周って観て来ていたので、ある程度、満足は出来ました。



2015年 4月