岬を訪ねて三千里

日本国内の端っこの岬や灯台、神社や寺院などを巡っています。文学者、思想家、教育家、事業家にも関心があり、縁のある場所や記念館、文化施設なども立ち寄っています。

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野田洋次郎、KREVA、一青窈、miwa。櫻井翔、 小出恵介、水嶋ヒロ。勝間和代、梅田望夫。ふかわりょう。お分かりでしょうか?そうです。皆さん、慶應義塾大学出身者。他にも、多くの有名な方々がいますが、挙げたらキリがないので。何だか皆さん、洗練された感じと言いますか
『福沢諭吉 福澤記念館:大分県中津市留守居町』の画像

幼少の頃は、漢学や儒学。十代には、蘭学。オランダ語、砲術、医学、化学など。二十代に英学をといったザックリとした流れ。オランダ語を習得していた福沢諭吉。日米修好通商条約により外国人居留地となった横浜に出向き、英語と出会う。これからは、英語の時代だ!と確信。1
『福沢諭吉 旧居:大分県中津市留守居町』の画像

江戸時代中期以後、オランダ語により西洋の学術・文化を研究する学問の総称。 八代将軍の徳川吉宗の時代。享保年間(1716年~1736年)、青木昆陽、野呂元丈の蘭書の訳読に始まる。 つまり、蘭学。因みに、漢字で、オランダを表記すると、阿蘭陀。 ここ中津は、特に 多くの
『福沢諭吉:大分県中津市周辺(中津駅)』の画像

中華人民共和国の浙江省の北東部。余姚(よよう)市。姚江の水運に恵まれ古くから商業が盛んな交通の要地。また、歴史上の有名な文人学者を数多く輩出した町。唐代の書家、虞世南(558年~638年)。明代最大の哲学者、王陽明(1472年~1529年)。明の滅亡で日本に亡命し、徳
『王陽明 陽明園:滋賀県高島市安曇川町青柳』の画像

館内には、他にも何人か来場者がいた。今まで幾つか、このような記念館に立ち寄ったことがあるけれどお客さんが自分一人だけということが、何度かあったので、失礼ながら、少し驚く。 ▲ 近江聖人 中江藤樹 記念館入場料の200円を支払うと、係の方が案内をしてくれた。「中
『中江藤樹 記念館:滋賀県高島市安曇川町上小川』の画像

琵琶湖が見渡せる。高架線を走る電車から。湖西線の安曇川駅で下車。南口側から出ると、木々の植えられた広場。 ▲ JR西日本 湖西線 安曇川駅(滋賀県高島市安曇川町)一人の偉人の坐像が建立されている。 近江聖人(おうみ せいじん)と呼ばれる儒学者。 ▲ 近江聖人 中
『中江藤樹:滋賀県高島市安曇川町周辺(安曇川駅)』の画像

「天草灘での停泊」   頼山陽雲だろうか 山だろうか、または呉の国か、越の国か。海と空とが 茫として (水平線が)青い一本の髪の毛のようだ。遥か彼方に広がる天草灘で、舟を停めている。苫舟の窓辺から(の景色は) 夕靄が横に掛かり、陽は次第に沈むところだ。大きな
『頼山陽 史跡資料館:広島県広島市中区袋町』の画像

ご主人が促す。「どうぞ、どうぞ、写真を沢山、撮って下さい」こういった場所では、写真撮影が憚れることが多々あるけれど。勧められたのは、初めての経験だったので、新鮮に感じる。 ▲ 津島家新座敷(太宰治 疎開の家)五所川原鉄道の金木駅から、案内板に沿って歩く。5
『太宰治 津島家新座敷:青森県五所川原市金木町朝日山』の画像

法華経の普門品第二十五。「其中一人作是唱言」という一節がある。意味は、災難に遭った時、又は、苦痛に苛まれた時に其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに救いの手を差し伸べる。皆が救われ、悩みから解放される、といった内容。 種田山頭火は
『種田山頭火 其中庵(ごちゅうあん):山口県山口市小郡下郷』の画像

山口県山口市の新山口駅新幹線口から出る。どっしりと佇む立像が眼に映る。 ▲ 俳人 種田山頭火まつたく 雲がない 笠をぬぎその日も、ほとんど雲がない晴天だった。新山口駅に降り立つのは、今回で二度目。前回は、中原中也記念館に向かうのが目的で、山口県山口市にやって
『種田山頭火:山口県山口市周辺』の画像

地下一階のホール。約150席が用意されている。スクリーンに映し出された司馬遼太郎が語る。どうして日本人は、こんなに馬鹿になったんだろうというのが、二十二歳の時(敗戦を迎えた時)の感想でした。 昔は違ったろうと、そこから私の小説は始まるんですけども。 昔は違った
『司馬遼太郎 記念館:大阪府東大阪市下小阪』の画像

20歳頃に、その硬質で清澄な文体に魅了された。作品を読み漁る。軍医でもあり、文豪でもあった男。本名、森林太郎。筆名、森鴎外。 ▲ 森鴎外の胸像(森鴎外旧居)1862年(文久 2年)、石見国(現:島根県)津和野町に生まれる。幼少の頃から、論語や孟子の素読を行い、7歳
『森鴎外 旧居:福岡県北九州市小倉北区鍛冶町』の画像

 ▲ 日蓮宗 長興山 妙本寺の案内板夏の日の休日。午前中から出掛ける。電車に揺られること、1時間半程。好きな町の一つ。数多くの文学者達が愛して、住んだ町。鎌倉に到着。鎌倉比企ヶ谷妙本寺境内に、海棠の名木があった。(中略)中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮
『小林秀雄 中原中也 妙本寺:神奈川県鎌倉市大町』の画像

 ▲ 亀井勝一郎の文学碑の道標名前は聞いたことがあった。しかし、具体的にどういった作品を出していたのかは、知らなかった。函館という町は、何らかの文学的な土壌を有しているようだ。【亀井勝一郎】1907年(明治40年)~1966年(昭和41年)北海道函館市元町に生まれる。
『亀井勝一郎:北海道函館市周辺』の画像
     

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